かつてパリの街路は中央が低くなっていて、下水はそこにある溝に流れ込んでいた。
家庭からの下水も街路を横切る小さな溝を通り、この中央の溝に流されていた。
溝の下水は、さらに鉄格子で蓋をした落し口から地下の下水道に流し込まれていた。
だから馬車が発達すると、乗客は溝を越えるたびに揺れを感じなければならず、馬は鉄格子で足を滑らせ事故を起こすこともしばしばという困ったことになってしまった。
その解決策として、一九世紀前半のことであるが、街路の中央を高くし、その両側に溝を配置するという、今日広く用いられている方法が提案され、パリ大改造の際本格的に採用された。
このことは馬車交通に大きな利点をもたらすだけでなく、下水量を二分するのでそれほど深い溝を掘る必要も無くなり、維持管理の費用も少なくなるという利点もあった。
が、古い町並みが残る地方の都市や、馬車も通らぬ小路には昔ながらの下水道の片鱗を見かけることがある。
ピーター・メイルの『南仏プロヴァンスの一二か月』に魅せられて、古都エクス・アン・プロヴァンスを訪ねたときのことである。
市街地の真ん中を馬車道として造られたミラボー大通りが貫いていて、並木や四ヶ所の噴水が優美に配されていた。
樹齢五〇〇年を超えるプラタナスの巨木は間もなく黄落の季節を迎えようとしていた。
この広い通りの陽の当たる側にはカフェや商店などがあって観光客で賑わい、昼の陽を背に受ける側には銀行や不動産関係の会社などが店を出していて、一見パリの市街地と見間違うような情景である。
が、陽の当たる側にある、画家セザンヌの父親が営んでいたという帽子店の傍らの軒下をくぐり抜けると、もうそこは旧市街地、一七世紀以前の世界である。
網目状に入り組んだ小路には多くの商店が並び、広場では朝市が開かれていた。
そこで、ふと石畳の時代を思わせる小路を見付けた。
路の中央が凹み、かつて溝があったと思われるところは白の敷石になっている。各家庭からの溝があったとおぼしき所もわざわざ白の敷石にしてあり、その他の部分と区別してあった。
かつての構造を保っているものの、今は下水は取付管を通じて直接地下の下水道に流し込まれ、雨水だけがこの凹部を流れて鉄格子のところに集められているのであろう。鉄格子の中にはサイフォン式の落し口が見えた。
鉄格子の傍らに白のペンキで犬が描かれていた(写真)。さて、何でしょう、とガイドが云った。犬が散歩の途中でウン○をしたくなったら、この鉄格子の上でさせてくれ、というものだそうである。つまり、犬のトイレというわけである。これもその頃からの風習なのかな、とふと思ったりした。 |