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随筆
齋藤健次郎/(株)日水コン顧問、日本エッセイストクラブ会員
狭山丘陵 東京と埼玉の境、狭山丘陵と呼ばれているあたりにふたつの大きな貯水池がある。いずれも多摩川の水を東京市民に安定的に供給するために造られたもので、七十年の歳月を経て周囲の自然ともなじみ、いまでは大都市近傍とも思えぬ美しい眺望を見せている。
 周囲には狭山緑地、狭山公園や西武ゆうえんち、西武ライオンズの本拠地「西武ドーム」などがあり、都民の行楽と憩いの場にもなっている。
 最近ではアニメ映画「となりのトトロ」の舞台となり、その後設立された財団が自然景観の保護活動などをしていることでも知られるようになった。
 大正五年、東大教授中島鋭治の立案にもとづき工事が始まった。
 途中第一次世界大戦や関東大震災などの突発的な出来事もあったが、大正十三年に上貯水池が、昭和二年には下貯水池も完成し、村山貯水池と名付けられた。
 その後、事業計画は大幅に改定され、山口貯水池の新設などが追加された。こちらは昭和二年に起工九年に竣功し、二十四年かけてすべての工事が完了したのは十二年のことであった。
 工事は農業を主体に副業として養蚕や木綿絣の機織りなどで生計を立てていた山村に、戦後各地に起こったダムブームの先駆けとも言うべき現象をもたらした。
 現在西武ゴルフ場になっているあたりは当時別荘地として鳩山一郎、近衛文磨ら著名人が買い求め、実際に別荘を建てた人もいた。
狭山丘陵 山口貯水池のための買収が始まるころには工事用として現在の西武鉄道狭山線の延伸が決まり、貯水池周辺では住宅地開発や旅館、ダンスホールの建築が噂されるまでになっていた。
 その一方で、世の中は不況の真っ只中にあった。農村からの労働力はいくらでも集まり、労務費も資材費も低落の一途をたどっていた。
 加えて、後になると米国から大型の施工機械が次々に輸入され施工能力が飛躍的に向上したが、これがまた労働力の余剰をもたらし、労務費の低下をまねいた。
 そこで、地元対策の一環ででもあったろうか、工事で掘り起こした土を運び、ふたつの貯水池の真ん中に盛土をして鎖で登るような大きな展望台を造った。江戸の町によくある富士見塚を模したもので、富士山らしくするためどこからか溶岩を持ってきて周囲を固め、頂上には白雪に見立てたセメントで蓋をして「狭山富士」と名付けた。
 が、そのいきさつを知っている地元の人たちはこれを「泥富士」と呼んでいた。
 やがて、ふたつの貯水池はもとより四方が遠望できる「狭山富士」には近郷近在の小学生が遠足にやって来るし、日曜日には巡査が整理に出るくらい人が集まる観光名所となった。
 しかしその後間もなく、富士山は台風のため半分以上も崩れ落ちてしまった。最近、地元の有志が道を直してくれたから登ることはできるが、樹々の間に埋もれてしまい、麓の石段だけが当時の面影を残している。
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